まちづくり情報館の「みんなの命輝くために ―小さな声に耳をかたむけて―」
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みんなの命輝くために ―小さな声に耳をかたむけて―
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2018年02月28日 09:33
 教育事業は、被差別部落の子どもの学力保障や人権確立のために運営されてきましたが、長年その運営に関わってきた中で、印象深い出来事があります。
 十数年前のことです。教育事業で学ぶ小学6年生の2人が職員室に抗議をしに行きました。担当の教師はしっかりと対応してくれたのですが、本人たちが納得していないようだということで、私に相談がありました。
 中身は「私らが差別を受けるかもしれないから学習しないといけないと先生は言うけど、なんで私らだけが学習せなあかんの」ということでした。つまり、本当は差別するかもしれない人が学習するべきではないのかということです。そこで私は、この2人のためだけにクリスマスパーティーを開き、話をすることにしました。2人は「私ら、この部落を出ていったら差別を受けへんのと違うの?逃げたらいいんや」と言うのです。
 皆さんならどう答えるでしょうか。私は「それは間違っている」とは言わず「ごめんな。あんたらにそんな思いをさせているのは大人の責任や。あんたらがそうしたいならそうすればいい。でも、逃げても差別は追いかけてくるし、そんな生き方、嫌やと思わへんか?自分を育ててくれた故郷からなんで逃げないかんの?差別するほうが悪いんやろ」と言いました。この子らが大人になる頃には、差別がない世の中にできているだろうか、と自分に問いながら。
 そして今、心配していた事態が起きています。インターネット上での差別的な書き込みや部落の地名・人名リストを公表し、部落の中を撮影した動画を流す人たちがいます。それによってどれだけ多くの人が苦しめられるのかを顧みることなく。このサイトを利用して、結婚やつき合いで相手の人が部落の人かどうか、身元調査をする人がいます。それが差別だという認識もなく。
 「自分は差別なんてしないから関係ない」という声を聞くことがありますが、この感覚は差別を野放しにします。インターネット上で差別的な書き込みをしている人も「自分は差別なんてしていない」という感覚で書き込んでいるのです。つまり、何が差別かを分かろうとせず、その行為がどれだけ人を傷つけるのかを考えていないのです。
 その書き込みを見て「そうなのか」とうのみにしたり「自分には関係ない」と見過ごしたりするのではなく、人権という観点から、しっかりと批判できる力をつけることが大事です。このような差別書き込みに対して削除要請や抗議をしても効果がなく、むしろ反撃を受けるという事態も出てきました。この状況を打破しようと、一昨年12月「部落差別解消推進法」が施行されました。
 この法律は、「部落差別は許されない」と明記し「部落差別のない社会を実現する」ことを目的として成立しました。国や地方自治体に教育・啓発、相談、実態調査に取り組む責務があることを盛り込み、国民に理解を求めています。
 人権は誰かが与えてくれるものではない、と私は思います。「障害者差別解消法」「ヘイトスピーチ対策法」もそうですが、深く傷つけられたマイノリティが体を張って闘ってきたからこそ、人権尊重社会へと前進してきたのです。でも、人権課題の解決は、その人たちにまかせておけばいいわけではありません。むしろ、差別している人、差別するかもしれない人の問題ですから、みんなで考え、取り組む課題なのです。
 「なんで私らだけが…」―小さな声に耳をかたむけて、誰も排除せず、共に生きていく取組を、みんなで進めていきたいと思います。

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