まちの話題・できごとの「「差別をなくする輪をひろげよう」市民運動作品 作文 中学生の部 優秀賞」
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「差別をなくする輪をひろげよう」市民運動作品 作文 中学生の部 優秀賞
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2017年11月24日 10:33
「死」を見つめ「生」と向き合う
 「復元納棺師」を知っていますか。それは、事情があって、生前のおもかげを失ってしまった故人をその人らしいいい顔に戻す納棺師のことです。私は、この「復元納棺師」として活躍している一人の女性をある一冊の本で知り、大きな衝撃を受けました。
 3月11日。あの日、東北は大きな地震と津波に襲われました。テレビで津波が次々と街を飲み込んでいくのを見て、言葉を失ったことは今でも覚えています。死者・行方不明者は、18, 446人でそのうち津波で亡くなった人は90%近くいました。小学校や中学校の体育館は、遺体の安置所として使われるようになりました。復元納棺師の笹原留似子さんは、そのとき岩手県で被災しました。笹原さんは、自分に何かできることはないかと遺体安置所へ向かいました。そこで笹原さんの行動を左右する出会いがありました。それは、死後変化が始まっている三歳くらいの女の子のなきがらでした。笹原さんはこの女の子をこの子らしいいい顔に戻してあげたいと思いましたが、それはできませんでした。法律で、身元不明者の遺体に触れることは禁止されていたからです。小さな小さな女の子を目の前にして、道具も技術もそろっているのに何もしてあげられないと思うと、笹原さんはどんなにつらかったのでしょうか。私がもし、そのとき笹原さんとそこにいたら、何もできない自分の無力さに耐えられないでしょう。「同じ後悔はしたくない、自分にできることを精一杯やろう」そう強く決心した笹原さんは、被災地で復元ボランティアを始めました。
 復元ボランティアで笹原さんは、1日に10~20人の復元を行うこともあったそうです。1日に10~20人の人の「死」と向き合うというのは、本当につらいと思います。きっと私なら、この苦しい現実から逃げ出してしまうにちがいありません。笹原さんはなぜ、復元ボランティアを続けられたのでしょうか。彼女はこう言っています。
 「死は本当に悲しいものです。私にできることはただ悲しみに寄り添わせていただくこと。残された人がその死を受け入れるため、少しでもお役に立ちたいと思ってやってきたのが復元でした。故人がどんな状態にあったとしても、生前と同じ表情、できるだけ微笑みをたたえたお顔にする。復元させていただいたのちご家族に対面していただくと、ようやく事実と向き合い、死を受け入れられることが多いのです」
 震災で多くの尊い命が失われました。大切な家族の「死」を受け入れにくい人が多くいました。そんなとき、笹原さんの復元によってやっと「死」を受け入れられた人も少なくなかったと思います。誰よりも強い想いで「死」と向き合い、遺族に寄り添う笹原さんは被災地で何を感じたのでしょうか。
 笹原さんから学んだことは、「死」を見つめることは「生」と向き合うことでもあるということです。大切な家族や友人を失うことは、つらくて、切ないことです。私はこれまでに一度だけ大切な人の「死」を経験しました。中学校に入学する少し前、大好きだった祖母がなくなりました。祖母の死は本当に悲しくて、これから自分はどういう生き方をしたらいいのか分からなくなりました。祖母のことを思い出しては悲しみの気持ちでいっぱいだったある日、祖父から電話がありました。祖母からの家族一人ひとりに向けた手紙が見つかったのです。そこには、「楽しい人生をありがとう。わたしがいなくなってもあんまり悲しまないで、元気に生きていってね」と書いてありました。亡くなった人とは、会いたい、話したいとどんなに強く思ってもそれはできません。私はこの祖母の手紙を読んで祖母に見てもらいたかった分の人生も一生懸命生きようと思えました。笹原さんの復元は祖母の手紙と同じように残された人が「死」を受け入れるきっかけになった一つだと思います。祖母はきっと、私のことをずっと見守ってくれていると私は信じています。そして私の心の中では、幼い時に一緒に遊んだ思い出と共に祖母は生きています。
 大切な人の「死」を受け入れることは簡単ではありませんが、残された人はその人の分も精一杯生きていかなければならないと思います。だからこそ、今生きていられることを当たり前だと思わず、命を大切にしたいです。
    
別所中学校 3年 森本怜奈

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