まちの話題・できごと - トピック返信
新着返信
返信がありません
QRコード
外国人の人権とは
2018年10月29日 15:19
 私は日本に40年余り住んでいますが、今でも自分自身は「外国人」だということに改めて気づかされることがあります。
 たとえば、学校・大学で日本人の先生は名字で呼ばれますが、外国人の先生は、名字ではなく名前で呼ばれることがよくあります。そのため63歳の私は「音羽先生」ではなく、「レベッカ先生」と呼ばれ、ほかの先生たちと比べ何か尊敬されていないような気になります。また、自分が住んでいる村で、自分の家の玄関を出ると、私の顔を見て「外国人だ」とびっくりされます。外国人へのこうした対応や反応はいつまで続くのでしょうか。こういう小さいことを毎日経験して、いつまでもこの国で落ち着くことができないなと思ってしまうのです。
 「外国人」とは何でしょうか。法律上、「外国人」という言葉は日本の「国籍」を持っていない人、「国民」ではない人を指しますが、日本に生まれ育って、日本国籍を持つ息子たちでさえ、小学生のころ、「外国人だ」と叫ばれ、同級生から追いかけられたことがあります。追いかけた子どもたちは、その言動を一体いつ、どこで身に付けたのでしょうか。
 外国人の尊厳や人権を保障するために、国際的に条約や法律を決めることは良いことですが、それはあくまで、「外国人」と同じく定義によるものになります。法律ができるまでのプロセスには、個人の思いや意見があって、それが社会の中に強まっていくと、やがて法律になっていきます。個人の意識の高まりが社会を少しずつ変えていきます。逆に、個人の意識が変わっていかなければ、社会は一向に変わらないままです。自分の心を見つめて、一人の人間として、自分と違う人と分け隔てなく付き合うことができるか、ということを自らに問いかけてほしいと思います。  
 私は「外国人」という画一的な見方や排除しようとする意識などが早く社会からなくなってほしいと思います。特に「外」と「内」の違いを強く感じる日本では、こういう「外国人」という言葉は強く響きます。人間は言葉を使って、他の人を「箱」に詰めがちです。「外国人」という言葉の「箱」は使う人も使われる人も心を痛めます。なぜかというと、お互いの人生を狭くするからです。あなた「日本人」と私「外国人」と、言葉の箱に詰めないで、違うところより似ているところを見つけてみませんか。これは、法律のレベルの問題ではなく、みんなが個人のレベルでできることです。
 私は先週、民泊のグループで、来日した中国の学生たちを家に泊めました。確かに「外国人」ですが、話してみると、自分と同じく将来の夢や不安など、話がはずみます。違うところがあっても、私たちはみんな同じ人間なのです。
 まずは「外国人」との違いを過剰に意識しないで、いろいろな人と分け隔てなく交流してみませんか。

音羽レベッカ

書き込みツリー表示
外国人の人権とは - 18/10/29 15:19 (三木市広報広聴課)